2007年12月31日月曜日

年の瀬に


言葉は生きている。人の口からこぼれ落ちた言葉は、その意図とは関係なく波紋を広げ、自分自身に跳ね返り、場合によっては世の中にも影響を与えるものだ。だから、否定的な言葉は、それが建設的な意義を持たない限り、おおっぴらに口にすべきでないと思っている。これは、つまらない軽口を叩いては他人を不快にさせることの多い、わたし自身に対する戒めである。

そこで、感情を交えず、淡々と書きたい。今年一年を振り返って思うことは、この国のありさまなのだ。多くの企業は空前の利益を計上しているが、働く人間にそれが十分に回っていない。未来を託すべき若者達が困窮しているのに、話題になるのは食い物と年金のことばかり。数字の上とはいえ、世界一豊かだったこの国が、あっという間に先進国中でもっとも貧しい国になっていた。失われた10年でなく、もはや失われた30年なのである。かつては歯牙にもかけなかった国々が、ダイナミックに成長しているそばで、テレビをつければ食い物かスポーツか芸能か、得体の知れない人間たちの聞くに堪えないような会話が飛び交っている。これから年金世代が激増し、逼迫する国家財政を維持するためには、これまで以上の生産性の向上が必要なのに、相変わらず衰退産業の過保護政策しか頭にない政府。しかも、有権者の「お灸をすえる」といった緊張感のない投票行動が、いたずらに政治を停滞させている。それでも投票に行くだけ褒めてあげたいほどの、地を這うような低投票率。おそらく来年も世界経済の混乱は続くし、国内の停滞も続くだろう。責任世代であるわたし達が、将来の子どもたちのために出来ることは何なのだろうかと、真剣に悩む一年だった。

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昼過ぎまで荒れていた天気が、夕方になって、ふっと穏やかになり、窓から明るい夕日が射し込んできた。つい一ヶ月ほど前まで、空の半分を覆っていた木立はすべての葉を落として、暫くの間、広々とした空の風景を楽しませてくれる。

2007年12月28日金曜日

「なぜデザインなのか。」

デザインとはおよそ無縁のわたしにとって、一体デザインとは何ぞやということが気になって仕方ない。最近特に目にすることが多くなった、「デザイン家電」や「デザインホテル」という言葉の居心地の悪さ。「デザイナーズマンション」にいたっては、一体全体何が言いたいのか理解不能なのだ。「デザイン」の代わりに「色もの」という言葉を当てても、十分に成立するじゃないか。「おィ、誰か出てきて、俺の目を見て説明してみろ」という気分だ。そんなわけで、ことしもデザイン関係の本をかなり読んだ。

その中の一冊、「なぜデザインなのか。」は二人のデザイナーが、異文化の問題、資本主義と社会構造の変遷の問題、そして自身の暮らし方の話まで、デザインという眼鏡で「現在」を読み解くディアローグである。ここで非常に印象的だったのは、対話者の会話がきわめて分析的であり、言葉の輪郭が明確に機能しているということである。それはつまり、デザイナーという仕事の本質は、現実を言葉を用いて分析し、それを更に第三者と共有することで成立するものだということを暗示している。逆に言うと、寡黙を好しとして、理屈っぽさを嫌う風土からは、優れたデザイナーは生まれにくいのではないかという疑問も生じるのである。

さて、この本のタイトルは「なぜデザインなのか」であり、「デザインとは何か」ではない。そこのところがミソなのだ。つまり、デザインについて対話者に共通の理解があり、それを前提に話が進むわけで、ダイレクトに「何か」を知りたい向きには隔靴掻痒の思いであろう。しかし「なぜ」という問いの立て方は、固定されたデザイン概念を前提としてるのではなく、むしろ社会のニーズによってデザインは流動的だという理解を前提にしているのかもしれない。とすれば、この本は、「何か」を棚上げにして、デザインのかかわるフィールドで生じるあれやこれやを、楽しい雑談として楽しむのが正解なんだろうと思う。残念なのは、書籍という制約のためか、それぞれのエピソードが入り口で終わり、それからの展開がないのが少し物足りない。この手の話は、むしろ飛躍したり脱線した部分にこそ、美味しいものがあるのだが。

特に記憶に残ったのは、原研哉の家庭の話。あれほどの仕事をする人の家の中はさぞやと思いきや、電話やノブなど、あちらこちらに布カバーが掛かっていると愚痴る。決して本書のテーマでないが、人生侭ならないものである。

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「デザインとは、有限な資源を適切に配分するプランそのものだ」と数年前のブログに書いた。資源の有限性がこれまでになく意識され、また同時に富の偏在が顕著になってきた現在、この意味でのデザインはますます重要になっていると思う。そして、資源の適正配分という面でデザインをとらえるとき、生活者自身も「デザイナー」としての役割を持つと言える。人が情報や資産を適切に活用して、人生という限られた時間で、できる限りの豊かさを追求すること。つまり、日々の暮らしそのものがデザイン活動なのだ、と言えなくもないが、どうであろうか。

2007年12月27日木曜日

オスカー・ピーターソン

ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンが亡くなった。82歳だったという。

試しに、Amazonで検索してみて欲しい。ピアニストとして半世紀以上にわたって活躍し、そこには膨大な作品が残されている。そして、高齢になった最近まで、ずっと現役であり続けた人である。もちろん全部聴いたわけではないが、きっとどの作品も楽しく、美しく、聴く人の心を引きつけるはずだ。

ただ残念なのは、いわゆる通と呼ばれる人たちからは、彼がいつも愛想が良く、サービス精神の旺盛な点をとらえて、「ゲージュツ家」としてはちょっと低く見ているような空気を感じるのだ。どうしてだろう。「ゲージュツ」は暗い顔して、一般人には近寄り難いような、難しいものでなくてはならないのだろうか。捻くれた、独りよがりの「ゲージュツ」よりも、たくさんの人たちを、明るく楽しませる演奏のほうが、ずっと価値があるようにも感じるのだ。

その点は措いておくとして、オスカー・ピーターソンが偉大だったのは、なによりモダンジャズの素晴らしく卓越した教師だったことにあると思う。それは特に、ジャズボーカルの伴奏者として演奏したときに強く感じる。ジャズの歴史に名を残した、素晴らしいボーカルアルバムの共演者には、必ずと言っていいほどオスカー・ピーターソンの名前が刻まれている。そして、その名前をたどって様々なアルバムを聴いていけば、モダンジャズとは何なのかを、こ難しい理屈を抜きにして、自然と身体で理解できるようになっている。それは、複雑で迷路のようなジャズの森の中を案内する、名ガイドのようなものだ。そして、長い年月にわたり、立派にその役割を果たしたジャズ・ミュージシャンを、わたしは他に知らない。

ジャズって何なのかよく知らない、でもちょっと聴いてみたいという人のための、この一枚。
・「イン・テューン
高校生の頃、偶然にその中の一曲「セサミストリート」をラジオから聴き、師に手を引かれるようにジャズを楽しむようになったきっかけを作ったアルバムである。驚異的なコーラスの美しさと、オスカー・ピーターソンの華麗なピアノ。もしも若い友人から「ジャズって何?」と訊かれたら、何枚か差し出すアルバムの一枚に、必ずこれを入れたいと考えている。

2007年12月25日火曜日

今年の美術館

先日の新聞記事で、東京都民が1年間に美術館を利用する頻度が1.9回であったという結果が出ていた。それが多いのか少ないのか、比較の尺度が無いのでちょっとよく分からない。ただ、都内に限って言うと、国立、都立、区立美術館の他、私設美術館も数多く存在し、工夫を凝らした特別展が1年中開催されていることを考えると、直感的にはやはり少ないのではと感じる。しかし、競合する娯楽も美術館を遥かに上回ってあることから、まあ妥当な数字だとも思える。結論的には、1.9回という数字、もったいないなあとという感想である。

わたしの場合は、年間で、少なくとも10回以上は関東周辺の美術館に足を運んでいる。これに旅先での美術館を加えて、まあ15回程度だろうか。そのうち自腹を切るのが半分程度。残り半分は、新聞販売店や懸賞、友人からの贈与である。だから、回数ほどにはお金をかけているわけでない。したがって、美術館で遊ぶというのは、ほんとうに日常的な遊びという感覚なのである。

ただ、日頃美術館に縁のない人たちにも、気軽に足を運んで欲しいという願いがある。最近の美術館は、建物自体も素晴らしいものが多く、もちろん企画展も十分楽しめる。そして、まだまだ不十分とはいえ、併設されているレストランやカフェも、それなりに水準が向上してきている。だから、休日にデートするなら、埃っぽい繁華街を歩き回るより、雰囲気のいい美術館に行くのもアリだと思う。たとえば「恋人たちの予感」というコメディー映画があるが、その中でメトロポリタン美術館を散歩するシーンがいいのである。背後にセントラルパークの紅葉が広がる大展示室を、たわいもないおしゃべりをしながら歩き回るという、何とも贅沢な遊びが描かれているのだ。

さて、年度末ということもあり、今年見た美術展で印象に残ったものを挙げておきたい。今年一番楽しんだのは、「金刀比羅宮 書院の美」。とりわけ若冲の花々の襖絵。もうすぐ本家に戻って完全公開されるので、女房を質に入れても見に行きたいところだ。収穫は、セタビの「資生堂展」。モダニスト山名文夫の存在を知ったこと。ことしの1枚は、「フィラデルフィア美術館展」のオキーフ。震えた。今年の心残りは、「ムンク展」。実は子どもの頃、初めて一人で展覧会に行ったのが「ムンク展」で、それから美術館との長い付き合いが始まったのである。もうすぐ終わるので、ぜひ行かなくては!

2007年12月24日月曜日

幸せの条件

先日のエントリー前半部の続きである。

約12時間の搭乗を経て、コペンハーゲン空港に到着したときには、すっかり日が暮れて、みぞれ混じりの雪が降っていた。更に空港から電車に乗り、約10分くらいで中央駅に到着した。何しろ初めての土地であり、風俗や習慣、どんな気質の人たちなのかも知らなかった。片手に宿の名前と場所を記した地図を持って、わたし達は恐る恐る宿のある方角を目指して歩き始めた。

ところが何しろ裏通りの安宿なので、目立つ看板があるわけでなく、おまけに暗いときているため、たちまち道に迷ってしまった。あたりは人通りも無く、重いトランクを握る手も強張ってきて、ぴりぴりと緊張が走り始めたその時である。「ヘイ!」と通りがかりの中年男が近づいてきて、どうかしたのかと声をかけてきた。地図を指差しながら、身振り手振りで事情を話すと、うんうんと頷いてホテルまで道案内をしてくれた。それが最初だった。

そして晩飯。宿を出て、当てもなくレストランを探すが、これがなかなか見つからない。今ならレセプションで紹介してもらい、さっさと安くてうまい飯にありつくところだが、旅行初心者にそんな知恵はなかった。もう時間切れかというころになって、やっと安心できそうなレストランをみつけ、ほっとして店に入った。ところが運悪く店内は満席であり、また振り出しかと思うと、すっかり気落ちしてしまった。すると店の中程から客の一人が手を振って呼びかけてきた。もうすぐ食事が終わるから、もうちょっと待っててくれと言っているのが、その様子ですぐに分かった。そして、その客と挨拶をし、空いた席に座ったときの安堵感と言ったらなかった。店のメニューはハンバーガーだのサンドウィッチだのといった簡単なものばかりだったけれど、肌の色の違う異邦人に向けられた思いやりに、その晩の食事は、わたし達にとっては忘れられないものになったのである。

その翌日はバスに乗って、美術館に行くことになった。駅前の始発バスの運転手に行き先を告げると、到着したら合図するからと言われて安心して乗り込む。ほどなくバスは動き出し、そのまま入り口付近で立っていると、奥の席から私たちの方を呼ぶ声がした。振り返ると、隣の席が空いているから座りなさいと勧めてくれていたのである。しばらくして、バスは目的地の停留所に到着した。運転手に礼を言って下車し、道を渡って美術館の方向に歩き始めた。すると、その時である。静かな街角に大きくクラクションが鳴り響き、思わずその方向を見ると、少し遠くにさっきのバスが停車していた。そして運転手が窓から身を乗り出し、私たちに向かって、美術館は反対方向だよと手を振っていたのである。わたし達を降ろして発車したあとも、その運転手はわたし達が迷わないか見ていたのは明白だった。

短い滞在だったが、一事が万事、そんな調子なのである。誰もが、いつも気を配り合っている。困っている人を見つけたら、躊躇なく、当たり前のように手を差し伸べる。町中で地図を持って佇んでいると、必ずと言っていいほど声を掛けてくるのである。あまりに頻繁なので煩わしくて、しまいには地図を隠し持ち、観光客でない振りをするほどだった。そして、この体験がきっかけになって、わたし達も、ここで受けた親切は、必ずどこかの誰かにお返しをしなければならないと、強く思ったのである。

帰国後ある本を読んでいたら、国際統計で、幸せだと感じている人の割合が一番多いのが、デンマークだった。そして古くから、友人を持つならデンマーク人、と言われていることも知った。知られているように税金は高く、物価も高い、しかし人々は穏やかで質素な生活を楽しんでいる。単純に比較はできないが、似たような所得水準にありながら、そこでは日本のような荒んだ雰囲気を感じることはなかった。ブームになるずっと以前だったが、わたし達は惹かれるように、その後もたびたびこの土地を訪れるようになったのである。

2007年12月23日日曜日

カタログギフト


いつの頃からなのか、贈答品をカタログでもらうことが多くなった。初めてもらった時は、虚礼とはいえ、いかにも事務的な雰囲気がして、あまりいい気分でなかったが、最近ではそういう抵抗感もすっかり薄らいでしまっている。たしかにつまらないと言えばそれまでだけど、虚礼を廃止するわけにもいかず、さりとて互いに迷惑になるものをやり取りするのも不合理だ。そのような状況で、カタログギフトは、世間のしがらみを断つことのできない我々の、一番洗練された贈答品かもしれないと思う。

そのカタログギフトだが、当初は正直なところ、自腹を切ってでも欲しいものなど皆無で、結局何も注文せず放りっぱなしになることもたびたびあった。ところがここ最近、カタログのリストの中にも、積極的ではないにしろ、これなら有難いなと思えるようなものが増えてきている。そしてとくに、昨今のデザインブームのおかげなのか、種類こそは少ないが、結構楽しいものが目につくのである。

写真のエスプレッソカップは、先日もらったカタログに小さく出ていた商品である。デンマークの会社が販売しているが、製造はバングラディシュ。決して高価なものではないが、ハンドメイドであり、しかも売上の一部は教育基金に寄付されているということだ。こういうセンス、ちょっと素晴らしいと思う。途上国の雇用を増やし、かつ子どもの福祉にも役立ち、そしてもちろん、選ぶ側の満足度も大きい。このカップが届いてから毎日のように使っているが、手書きの人魚の柄にバングラディシュの職人や、トタン屋根の教室で勉強に励む子どもたちを想像するのは、なんだかとても楽しいのである。

本来ギフトというのは無償の行為であった。そして無償だからこそ共有できる豊かさがあった。カタログギフトという、経済的合理性に乗っかったものであっても、その仕組みによっては、見ず知らずの誰かと豊かさを共有できる方法があるだ。当のそのカタログは、この事実にまったく気付いていない風だったが、そのようなシステムを明示したカタログビジネスがあれば、積極的に使いたいと思う。

2007年12月16日日曜日

フィンランドの森

目の前のディスプレーは、搭乗機が北極圏をかすめ、ムルマンスクの脇を通り抜け、フィンランド国境に向かっているのを示していた。ちょうど真冬のロシアの、硬く凍りつき、色彩を欠いた大地を見詰め続けてうんざりとした頃だ。すると旅客機の窓越しに、黒々とした森の向こうに、小さな光の輪のようなものがあるのに気付いた。そして急速に接近するにつれ、徐々に色や形が明確になり、それはオレンジ色の街灯に縁取られた湖や道路、家屋の光だということが分かった。その景色は、光輝くいくつもの首飾りが、冬の大地を暖かく覆っているように見え、また、ここから豊かな文明社会が始まるというサインであるようにも見えた。それが、初めて目にしたフィンランドの森と湖だった。わたしは息を飲む圧倒的な美しさに、そのまま外に飛び出して叫びたいくらいに感動したものだ。

夏の暑さが嫌で、例年冬に長めの休暇を取るが、今年は用事が立て込んでお流れになった。このままだと口惜しいので、時間が取れそうな時期を見込んで早割航空券を購入した。2ヶ月以上も先のことだけど、自分で〆切を付けないと、ずるずるとけじめ無く仕事を続けそうな気がしたからである。「ほんとうは、今の時期がいいんだよね。クリスマスシーズンの夜景も綺麗だし。」とか愚痴りつつ、毎晩のように遅い夕食。取り敢えず、入りと出だけを決めておき、その他の具体的なスケジュールや宿の予約などは全面的に妻任せだ。

週末に、航空会社から届いた封書には、チケットの束の代わりに、数枚の領収書と確認書類しか入っていなかった。便利になったのは歓迎だが、だんだんと旅の風情や興奮もなくなってきている。それだけ世界は、小さく、平らに、そして忙しくなっているのだ。

2007年12月4日火曜日

買い物雑感

今年に入って物価の上昇圧力が強まってきて、何を見ても値上がりしそうな感じがする。そんな気分のせいだろうか、このところ、なんだかんだと無駄遣いをしている。と言っても、もっぱら散歩の途中で小銭入れを開く程度のことなので、子どものママゴトのような買い物だ。

で、その1。大辞林第2版。同書の最新版が発売されたのをきっかけに、20年近く使った初版とさよならをしたくなって、古本屋で買い求めた。本を目方で量るのは変だが、小さなコイン3枚と交換に、ずっしりと重い辞書を抱えて帰り、なんだかとても幸せな気分。しかし、初版より少々マシとはいえこの表紙の安っぽいこと、ライバル広辞苑と比べると、ずいぶんと装丁が見劣りする辞書である。

その2。懐かしい陶器の犬の人形。ステレオセットのおまけに付いてきた大型のものを、長いこと本棚の隅っこに飾っていたが、知らない間に無くしてしまっていた。そして後になり映画「時代屋の女房」を観ていて、初めてそのことに気がついたのである。たまたま通りがかった露天バザーで、未使用の箱入りがずらりと並んでいて、それを手に取って眺めていたところ引っ込みが付かなくなり、コイン2枚と交換。ちょっと不思議なのは、こんな小さな犬の置物、一体何のおまけだったのだろうか。もしかして、ラジオのおまけなの?

先日、自動車のバッテリーを交換したが、原材料の相次ぐ値上げで、年初からすると5割近く高くなっていた。1月の点検時に、ディーラーから交換を勧められたが、もうちょっとと言って頑張ったせいで、逆にとても高い買い物になってしまった。世界的に不況の陰がちらつき始めたのに、本格的にインフレになりそうな気配が濃厚である。コイン数枚で気侭な買い物を楽しめるのも、ひょっとすると今のうちかもしれない。

2007年12月3日月曜日

日曜の午後



昼下がりに近所の公園に散歩しにいくと、子どもたちが落ち葉を山のように掻き集めて、その中に潜り込み、顔だけ出して日光浴をしていた。その何とも言えない、心地よく、自由な笑顔を見ていて、それを眺めているわたしまで顔が綻んでしまった。きっと暖かいのだろうな、心が弾んでいるのだろうな、枯れ葉がとってもいい匂いなのだろうな。仲間に入れてほしいが、もしもそれを実行すると、たちまち通報されてしまう窮屈な年齢である。

夕食のあとは、ほろ酔い気分で音楽を聴く。昼間の公園の、子どもたちの楽しげな様子が忘れられず、マイルス・デイビスのCDを選ぶ。とってもベタな選曲だが、やっぱりこの季節を締めくくるのに最適な、「サムシン・エルス」。何年も前のこと、ちょうど今頃の季節だった、リヨンを流れるローヌ側の畔にある公園で、ベンチに座って、枯れ葉の舞い落ちるのを、時間を忘れて眺めていたことがあった。夕暮れの近づく頃で、夕日に川面がきらきらと、光がこぼれ落ちるように輝いて、目の前の子どもの遊具で遊ぶ姿がシルエットになり、そして枯れ葉のたてる乾いた音しか聞こえない、とても静かで不思議な時間だった。そのとき、ごく自然に、脳裏に繰り返し聞こえたのがこのアルバムだった。一生忘れられない瞬間とは、決してドラマチックでなく、むしろさりげなく穏やかな、当たり前の日常の風景の一コマなのかもしれない。少なくとも、わたしの胸に刻み込まれているのは、そういった風景ばかりなのである。