2008年6月28日土曜日

彫刻

野鳥の本を読んでいるうちに、理由もなく彫刻をしてみたくなった。モデルは、毎朝のようにベランダに飛来する野鳥たち。木彫の経験は全くないので、仕上がりは見当もつかない。だけどやったことがないことは、それだけでやってみる価値があるというものだ。後先も考えずノミや彫刻刀を買い込んで、とにかく材木に向かってみることにした。

初心者なだけに、彫刻の勘所とかコツとか全然知らない訳で、暇な時間を使い闇雲に材木を削り続ける日々。想像以上に肉体労働なんだが、それが全然苦にならないくらい楽しい。鳥たちの姿をスケッチして、一旦その姿を自分なりに咀嚼した後、今度は三次元に再構成するという作業を繰り返す。観察力や想像力を総動員して、一心不乱に一連の作業をしていると、次第に感覚が精神の深い部分に降りて行くような状態になる。

何と表現すればいいのか、創造することの厳粛さというか、奥深さというか、彫刻という行為を通じて今まで知ることのなかった世界を味わっている。そして素人考えながらも、アートすることの意味の大切さを徐々に理解しつつある。まだまだ作業の途中にすぎないが、何かを創造する楽しさは格別である。

2008年6月27日金曜日

渋谷まで

渋谷に用事があり、しかし急ぐ必要もないので、ちょっとしたエコゴコロを起こして、歩いて行くことにした。本来だったら、裏道を楽しみながら歩くのだけど、大通り周辺の景色が変わってきているので、排気ガスを我慢して大通り側を歩くことにした。今までは車か地下鉄で移動するだけで、渋谷までの数キロは、わたしにとっては未知の土地である。

自宅からだと汗をかいて大変なので、ズルをして三宿から歩き始める。三宿といえば、以前はなにもないありふれた住宅街という印象で、古本屋と喫茶店が記憶に残るくらい。それがいつの間にか、小洒落た飲食店が建ち並び、休日ともなると他府県ナンバーの車で混雑するようになった。特別魅力のある土地でもないのに、どうしてそうなったのか、今もってその理由を知らない。

一番の関心事は、池尻大橋の交差点にある再開発地域。脇を抜けるたびに見ようとするが、車の運転席からは、一向にその様子が分からない。灰色の構造物がどこまで大きくなるのか、好奇心で一杯なのである。交差点の歩道橋の上に立ち、真正面に見てみると、窓のないコンクリートの巨大な塊が、周囲を威圧するような感じ。比較するのも変だが、国が滅んだあとも、ここはローマのパンテオンみたいに、巨大な遺跡として残りそうな気がする。後世の人たちは、地下から空中に延びる回廊を、夥しい自動車が高速で移動する様子を、どのような気持ちで想像するのだろう。

池尻大橋の坂を登り、南平台の交差点を抜け、そこから神泉に下る。わたしは、初めてここを訪ねた時から、この土地が気に入らなかった。ものの本によると、古い時代には、典型的な「ケ」の場所であったらしく、その土地の発散する気分が未だに残っているのかもしれない。陰気な踏切を撮影して、とっとと退散する。

その先にあるのが、お目当ての場所。地下の静かな書店で、しばし時間を過ごし、用事を済ませて店を出る。さて、最後の関心事は、新しくなった地下鉄の駅である。テツとしては、新しいうちにぜひ見ておきたかったところ。東急文化会館跡からエレベータで地下に下りると、そこはいきなりSF未来都市。湿気のこもった古く陰気な土地からわずかの場所に、平衡感覚を失いそうなほど清潔な未来的風景がある。その落差が、とても東京的だ。


一番気に入った場所。

2008年6月18日水曜日

ネズミの嫁入り


トイレの中のあれこれを、新しいものに取り替えることを計画して、すでに半年が経過した。いろいろと探してはみたものの、心の動かされるものが見つからず、あげくの果てに外国くんだりまで専門店巡りをしてチェックしたが、結局すべて空振りに終わってしまった。トイレは機能性を最優先する場所だから、衛生的なデザインであること、狭い場所だけに安全性も配慮し、コンパクトで目立たないことが必須条件と考えていたが、その条件をきちんと満たす製品はほとんどないのだ。それに加えて、実用性を重視して、安価で高品質なものとなると、もう諦めた方が早いといった状態だった。

こうなったら自分で作るしかないのかと思っていたところ、衣類だの雑貨だのと毎月のように世話になっている例のところから、新たに住宅設備を取り扱うとのアナウンスがあった。さっそくウェブサイトを覗いてみると、ビンゴ!。すべての条件を満たす上に、バーゲン期間中にて1割引。実物を見なくたって大丈夫、黙ったあなたについて行きます、と即断即決したのが写真の品々。

ごまかしのないアルミの無垢、余計な飾りを排した清潔なデザイン、尖った角のない安全な造り。自分が欲しかったデザインそのまんまである。あれほど散々探して、山ほど落胆して、考えるもの嫌になったところで、足下をふと見ると、いつもの店にちゃんとありましたとさ。これまでの努力は、いったい何なのだったのだろうか。ようやく届いた品々を手にして、心中複雑な思いで一杯なのだ。

2008年6月16日月曜日

似非ベジタリアンの主張


普段は野菜中心の食事だけど、出されたものは節操なく何でも食べるので、ベジタリアンとは到底言えない。つまり似非ベジタリアンだ。むしろ自分と一番趣味が合わないのは、当のベジタリアンの人たちでないだろうか。環境保護のためだとか、体をきれいにするだとか、動物がかわいそうだとか、そんなに理屈が必要なくらいなら、いっそ菜食を止めた方が体にいいのじゃないとすら思うのだから。

現在の食生活に切り替わってから20年近くなる。きっかけは肉料理を一切摂らないとどうなるだろうかという好奇心で、1週間ほど試したことに始まる。そしてそのあとで肉を食すると、肉の味の旨いことといったらなかった。と同時に、その味にどこか堕落させる甘さがあることに初めて気づいた。酒やタバコと同じで、摂り過ぎは何か良くないのではという直感が働いた。それ以降、徐々に肉の摂取量を抑えていって、いつの間にか肉食の習慣がなくなっていた。つまりわたしの場合、主義や主張に基づく菜食でないので、目の前に肉料理があればご馳走として、有難く食することには変わりはない。そして今でも、ジビエ料理や内臓料理といった、とりわけ動物の濃厚な味のする料理を好む点で、ベジタリアンにはほど遠いのである。

おそらくは、菜食をする意義とは、なんらかの思い込みから自由になるという点にある。もしくは、無意識にやっている習慣を見直して、主体的に選択をする楽しさを知るという点にある。それはたとえば、酒やタバコを止める、テレビを捨てる、過剰消費を止めるということで、別の知らなかった幸福を味わうのと同じなのである。さらには、そういう主体的な選択を積み重ねることで、「自律」の大切さを知ることが重要なのだ。極論すれば、自分の判断で選択したなら、肉を食べようが食べまいが、どっちでもいいことである。

隣の国では子供まで動員した牛肉デモが起きて騒動となっているらしい。だがそのデモのメッセージは、「われわれはどうしても牛肉を食べたい」という、相手からすれば思うつぼの内容となっている。自分から弱みを見せるのは、交渉事としては絶対避けるべきなのに。消費者として効果的な圧力の掛け方は、何ら意思表示をすることなく、単純に牛肉を食べることを止めればいいのだ。そして放っておけば、いずれはあちらから折れてくるだろうし、もしそうでなくても、牛肉を食べるという習慣を自分の意志で止めたことになり、それはそれで評価できる結果だと思う。牛肉を食べたいという一心で、道の真ん中で駄々をこねている子供、彼の国のデモはそのようにしか映らない。

写真は機内食のベジタリアンコース。限られた予算の中で、工夫された料理を楽しむことが出来る。そして半日もシートに縛り付けられる状態での食事は、菜食が一番適しているのではないかと思う。持病があったり、菜食に関心のある人には、悪くない選択であろう。

2008年6月15日日曜日

磨く


天気の良い休日は、むしろどこにも出掛けずに、家事に勤しむことが多い。好天だと外出先の混雑に巻き込まれて、いたずらに時間を浪費するのが嫌なのであり、もうひとつ、掃除や日曜大工、草木の手入れだとかは、晴れていないと作業が捗らないということもある。そしてなんだかんだと理屈を並べてみても、結局は家の中であれこれと雑用しているのが何より楽しいのだ。特別なイベントのない平凡な日常が、わたしにとっての「素晴らしき日曜日」である。

さて運良く好天に恵まれた土曜日は、絶好の家事日和。かねてからの課題だった、古い洗面台の曇りを落とす作業を実行する。いくら洗面台を掃除してもすぐに汚れが付着するので、気になって調べてみると水垢がこびりついているらしいのだ。アドバイスに従って、目の細かな耐水性の紙やすりを小さく切り、ざらつきのある部分を重点的に、少しずつ丁寧に研磨していく。するとあれほど頑固だった水垢があっけなく落ちて、その下からツルツルの表面が現れた。いや、その気持ち良さといったら、転んで出来た膝の瘡蓋を剥がすような快感である。

こうなると、もう止まらないのが生来の潔癖性。洗面台をピカピカに仕上げたら、次はトイレの中。同じような要領で、ブラシで擦ってもすっきりしないところを、徹底的に磨き上げる。ここまで来ると、綺麗になるなら何でも平気という気分。社内のトイレ掃除を素手でするという、どこかの社長の言ってたことが、まんざら誇張ではないという気がした。わたしの場合はしょせん自分の家のトイレ、見知らぬ人たちが使う場所まではさすがに腰が引けてしまうな。

夢中になって作業を終え、すっかり綺麗になったところを記念写真。そろそろ新しい洗面台を考えていたところだったが、お古でも磨けばまだまだ現役で使えるようだ。だけど正直なところ、全部取っ替えて、写真のような明るい雰囲気の洗面所にするのが理想なのである。