2009年9月27日日曜日

バー・ラウンジにて

仕事が終わり、ちょっと一杯呑んで帰ろうと、久しぶりに日比谷公園そばのホテルに入った。いつもならば混雑して慌ただしい時間のはずだが、その夜は不思議なくらいひっそりとしていた。広いラウンジには、客がまばらにしか座っておらず、思わず従業員に「今夜はずいぶんと静かですね。」と話し掛けると、「ええ、連休の翌日だからでしょうか。」という返事があった。日本の表玄関ともいえるホテルにして、このありさまだ。ラウンジに控えめに響くピアノ演奏を聴きながら、一昔前の活況が無性に懐かしく思えた。

先日の選挙で劇的な政権交代が起こり、わたしはこの国を諦め始めている。「捨てる」などという気持ちは更々ないが、ただ、手を携えて頑張ろうという気持ちが薄れているのは確か。どうぞいつまでも勝手に騒いでください、わたしはわたしで粛々と手を打ちます、という気分である。責任世代がそんな心構えでは駄目なのだが、力のない一個人では世間の流れには抗しきれないものだ。

最近、「日本人はどこまで減るか」という本を読んだ。これによると、人口減少の流れは止められないし、少子化対策は期待されるような効果はない。人口ピラミッドを前提とした社会制度は崩れ、新しい人口構造に見合った社会を構築しなくてはならないという結論。常識的に、そう思う。人口のサイズや構成は否応なく変化するのだから、余力のあるうちに、先手を打ちながら社会を改革すべきだった。変化に耐えうるのは若い間だけで、老人になってからでは苦痛でしかない。避けようのない変革の青写真を示さなかった政党に、国民がこの国の舵取りをゆだねたのは、いかにも時期が悪かったのではないか。そして、これが衰亡の歴史が辿る必然なのかもしれないと感じる。

昭和の雰囲気を色濃く残したバー・ラウンジは、岩陰に潜むようにして、疲れを癒すには最高の場所である。洗練された空間と、ピアノの演奏、一杯のスコッチで、千円ちょっとの贅沢が楽しめる。そういえば去年の今頃、ホテルのバーに通う総理大臣を、庶民感覚に無理解と非難していたのは誰だっけ。それを言っていた人間も、きっと庶民の生活すら経験したことがないのだろう。

2009年9月20日日曜日

連休に思う

過ごしやすい季節になり、ようやく仕事のペースも上がってきたところで、絶妙のタイミングでまた連休である。五月の連休もそうだけど、正直なところ無駄に休日が多すぎると感じる。今度の連休だって、迷惑に思う人も意外に多いのではないだろうか。

休みを取るのは結構なことだが、それはあくまで個人の判断によるべきで、よそから強制される筋合いではないと思う。みんな一緒に働いて、みんな一緒に休みましょうなんて、地球が真っ平らになった今では時代遅れの風習である。だから、祝日を休日とするのを止めて、代わりに国民が自分の都合のいいときに休める権利を、確実に保証する制度を作るのはどうだろう。そうすれば、意味のない休みを取らなくてすむし、細切れの休日をまとめて有意義に使えるではないか。連休の度に、無駄に時間やお金を浪費して、そのあげく疲れ果ててしまう人たちを見ていて、いつもそう思うのだ。効率のいい、環境に優しい社会を作りたいなら、新政権はそのあたりから手をつけたらどうだろう。

さて、私にとって否応なしの連休だが、例によって読書と料理と掃除と日曜大工に当てるつもり。これだけでも結構忙しいが、それに加えて、やっと実現の運びとなった2ヶ月先の旅行の準備もしなくてはならない。行きと帰りの航空チケットは押さえたので、あとはどこをどう巡るかを決めるだけ。行き先は大陸の端っこの田舎なので、交通が不便で言葉も馴染みがなく、色々と悩むことが多い。それもまた、旅行の楽しみと言えるのだけど。

2009年9月17日木曜日

飛行機

人生とか家庭を、船にたとえることがある。平均的には、夫が船長で妻が機関長?、子供は乗組員だろうか。そして家族が一致団結して、世間の荒波に負けずに航海を続ける船が、人生のイメージである。

私は、これとはちょっと違うイメージを持っている。それは、決して着陸することのない飛行機なのである。それも、現代的なジェット機ではなく、双発のプロペラの古い型のもの。

何しろ飛行機だから、常にプロペラを回し続けなくては、墜落の危険と背中合わせだ。できるだけ機体を軽くするため、乗務員も手荷物も最小限にする。高度は高く保たなければ、山の斜面に激突したり、乱気流に巻き込まれるだろう。だからなるべく高いところを飛んで、遠くの地形を注意深く観察しながら、安全な旅を続けたい。

船の場合は、かりに航海中に燃料が切れても、食料の蓄えがあればとりあえず大丈夫だろうし、運がよければ救助してもらえるかもしれない。が、飛行機ではそうはいかない。誰も助けられないのだから、燃料切れはもとより、些細な不注意も許されないだろう。だから、燃料はいつも十分に準備するべきだし、ヘマをしないように常に緊張感を持って操縦しなくてはならない。

むろん、人生のイメージとしては船の方がいいに決まっているが、実際の感じは飛行機のほうが近いと感じる。時間に追われ、稼ぎに追われて、バランスを崩して墜落しないように、懸命に操縦桿を握っている。時々だが、自分の姿をそのように想像するのだ。

経営再建中のJALを見ていると、あの人たちは決して沈まない船に乗っていると勘違いしていたのではと思う。多少傾いても沈没するわけないし、燃料が切れたら誰かが持ってきてくれると妄信していたのか。しかし外部から見ている限り、日の丸を背負った巨大航空会社といえども、嵐の中を飛ぶ古びたプロペラ飛行機にしか見えなかった。健全な経済法則に従う限り、世界の空から一度退場させるのが、もっとも自然な処置だと思う。そして、この国に、緊張感のある政治を取り戻すためにも、必要なことなのだ。

2009年9月2日水曜日

居酒屋にて

今夜は行きつけの居酒屋で、地球を半周分する楽しい話を聞かされ、それでは、地球の果てのどこかの飲み屋でご一緒しましょうという約束をする。通常ならば、孫の話で盛り上がりそうな年代の、しかしどう見ても永遠のプレイボーイにしか見えないおっさんに、男として限りないエールを送る。男の色気というのは、やっぱり無限の煩悩から醸成されるのだね。

そして私の隣のもう片方には、世界的名優が座っておられて、お互いこの店だけの十年来の顔見知りだが、いつも黙礼するだけの間柄。馬鹿話の輪に加わっていただこうかと思いつつ、もしかすると一人で心地よく飲む酒の邪魔になるのではと、いつも声をお掛けするのを遠慮している。伝え聞くところによると、人見知りする性格だが、実際はほんとうにお馬鹿なおっさんだとか。お先に失礼、との声で見送ると、これから昆虫採集でも始めるのではという格好。闇夜にサングラスで、お宅まで無事に帰れるのだろうか。

呑むのがいいことだとは無条件には思わないけど、その引き替えにすること以上に実り豊かな人生も用意されているような気もする。まっ、人生色々ということで、今夜はお休みなさい。