2009年12月27日日曜日

男のエプロン

大掃除の時期である。普段は無精して、見て見ぬふりを決め込んでいるところも、空いた時間を見つけては、少しずつきれいにしていっている。一度に大掛かりでやっつけるというのは好きではないので、毎日一つ二つ、気になっているところから順番に、修理を兼ねて念入りに行う。緩んだねじを締め直し、蝶番に油を遣り、剥げた塗料を塗り直す。ラジオを聞きながら、飲みながら、考え事をしながら、年明けの仕事始めの辺りまで、そうやって寛ぐのが何より楽しい。


先日の旅行の際に、買い物リストの先頭にあったのが、「エプロン」だった。料理に大工仕事に、ポケットのついた、丈夫で大きなエプロンが必要だったのだが、気に入ったものがなく、ずっと探していたものだ。ところが目的地の名産品のひとつに丈夫な麻布があり、そこに行けばきっと売っているはずという話を偶然聞きつけた。そして現地に行って、何軒かの店を回り、念願かなって見つけたのが写真のエプロンなのである。

素材は綿麻の混紡で、ざっくりと分厚く織られ、手触りはまるで柔道着のよう。ドライバーやペンチも楽に入る、深くて大きなポッケがあり、腰の辺りには布をぶら下げるリングもついている。裾は膝下まであるので、その裾の端を使ってオーブン皿を取り出すことも出来る。一言で言えば、男のためのヘビーデューティ・エプロンである。ただそれだけではあまりに無骨だと思ったのか、胸には赤い唐辛子の刺繍が施されている。それはまあ、ご愛敬。店の主人に、どなたが使うのですかと訊かれ、もちろん僕ですがと言うと、嬉しそうな顔をして「これはあなたにぴったりの品ですよ」と応えた。

後日、知り合いの外国人に、こういうのを買ってきたよと見せると、「うわっ、すてきっ!これは、うーーーん、イッショモノですね。」と意表を突く攻撃を受け、思わず仰け反ってしまった。そりゃもちろん、体が動かなくなるまでずっと使うつもりなんだけどさ。

2009年12月24日木曜日

クリスマス・イヴ



12月に旅行をする機会が多く、これまで様々な国のクリスマスシーズンを体験してきた。キリスト教を基盤にする国では、この時期、凍てつくような気候とは裏腹に、石造りの街全体が暖かな光で覆われる。もちろん商業的な華やかさが目につくものの、それだけでなく、民家の厚い木の扉や軒先などに、ちょっとした飾り物が取り付けられ、それがいかにも素朴な信仰心の象徴のようであり、ほっと心が和まされるのである。

また、それぞれの地域によって、土地柄を反映した個性的な飾り付けがあり、そのありようが社会の雰囲気をあらわして、異邦人にとってはとても興味深いのだ。どの家の窓辺にも、オフィスの窓にまで、三角をかたどる小さな明かりを灯している国があった。別段法律で決められている訳ではないだろうが、社会の整然とした連帯感の強さを感じさせられた。また、玄関先にロウソクを灯す習わしのある国があった。ほかに特別な飾り付けはないが、雪の中でゆらめく小さな炎がたとえようもなく美しく映え、人々の洗練された美意識をよく表していると感じた。

わたしは信仰する宗教を持っていないので、これまでもクリスマス行事とは無縁であり、イヴだからといって特別なことをしたいとは思わない。ただ、宗教を介して連帯感を持ったり、他人を思い遣る気分になる季節が毎年やって来るというのは、その社会にとって悪いことではないと思う。ディケンズの「クリスマス・キャロル」ではないが、自分たちのことで精一杯の暮らしの中で、一日くらいは見知らぬ人たちの幸福を願う夜があったっていいではないか。

夕刻の渋滞に巻き込まれ、クルマの中からオフィス街の明かりをぼんやりと眺めていたら、ラジオからオペラ歌手の歌う「アメイジング・グレイス」が聞こえてきた。薄く降り積もった雪が、すべての景色を浄化するように、透明で清らかな歌声が胸の奥に染みこんでいった。夕暮れの束の間の時間に、私にも訪れた、クリスマス・イヴであった。

2009年12月10日木曜日

初冬の旅 3


前回と同じく、今回も再び路線バスを楽しむ旅行となった。鉄道の場合だと、時刻表などは事前に調べがつくし、どこを走るかも直ぐに分かる。これが路線バスになると、運行状況すら皆目見当がつかない。とりあえず行ってみてのお楽しみ、もしも駄目ならタクシーがあるさ、といういい加減さで臨んだ。

少し考えれば分かるが、路線バスは自分が普段乗るもの以外、たとえ近所でもあまり知らないものだ。まして地方では主たる交通手段は自家用車なので、バスが走っていることにすら無関心だったりする。だから通りすがりの人に停留所を尋ねる程度のことでも、はっきりした答えが返ってこない。停留所が分からない、いつ来るか分からない、どこを通るか分からないでは、まるでサイコロを振って旅行している気分である。


それでも路線バスの旅行が止められないのは、やっぱりそれが楽しいからに尽きる。静かな商業地だの寂しい住宅街だの、バスは我々が普段目にすることのない生活地域を走り抜け、そして、その間に様々な人たちが乗り降りする。ドアが開いて、いきなり潮の匂いが流れ込み、浜辺の町にきたことを知ることがあった。登下校の子供たちに取り囲まれ、楽しいおしゃべりを聞きながらの小旅行もあった。

タクシーや列車に乗れば、あっという間だけど、せっかく無為の時間を過ごすための休暇である。ぼんやりと停留所でバスを待つ時間も悪くないし、名前さえ知らない街に住む人たちの日常をバスの車窓越しに拝見するのも楽しい。そして、見当違いの場所で降車してしまい、途方に暮れるという経験も、後で振り返ると結構愉快なものである。

2009年12月9日水曜日

初冬の旅 2


この地方の居酒屋の名物は、なんと言っても小皿料理。一皿300円くらいからあり、山海の新鮮な素材を調理した、美味しく、しかも見た目にも楽しい料理が提供されている。酒も一杯100円ちょっとから、種類も色々よりどりみどり。ハシゴする場合は、最初からほどほどの注文で切り上げて、次の目当ての店に移動する。4,5軒も回れば腹一杯になり、酒の方もちょうどほろ酔い加減でいい気分。もっと飲もうと思えばいくらでも飲めるのだが、あまり酔っぱらっては勿体ない。呑兵衛の天国は、少しずつ、チビリチビリと楽しむのがちょうどいい。写真は、典型的な居酒屋のカウンターの様子。カウンターの上には、小皿料理がずらりと並び、そこから気に入ったものを取る。手でひょいと摘んで食べる場合もあり、そのために紙ナプキンが多用される。従って、床に散らばっている紙ナプキンの量で、その店の人気が推し量れる。写真の店の場合、開店してあまり時間が経っていなかったが、早くも床が汚れていた。地元でもかなりの人気店のようだ。



具体的にどういう料理があるかというと、たとえばマイタケ風のキノコを串にして揚げたものとか、イカの串焼きとか、フォアグラとか、日本人の舌に馴染みのある味のものが多く、しかも滞在中にメニューが一度も重なることがないくらい色々な種類があった。ちょっと高級な店では、カエルや鳩のソテーなんかが忘れられない。あまりにもいい匂いだったもので、写真を撮る前に齧り付いてしまい、見苦しくてせっかくの写真をお見せできないのが残念だ。


意外だったのは、昼間や夜の早い時間など、老若男女を問わず幅広い人たちが居酒屋に訪れるということ。乳母車を押して昼飯を食べにくる若い母親や、犬の散歩の途中でコーヒーだけを頼む老夫婦など、日本でいうファミレスやコーヒースタンドの役割も兼ねている。何かを飲み終わって、悠然と新聞を広げていてる老人に対しても、店の主人は嫌な表情ひとつ見せない。こういう店が、わたしの住む街にもあればと、ちょっとこの街がうらやましくなったのである。

2009年12月8日火曜日

初冬の旅

とある雑誌に、遠い異国の魅力的な居酒屋街の写真が掲載されていた。その写真に写った街の風景は、とっぷりと日が落ち、雨に濡れた石畳は店先を照らす黄色の照明を反射して、えも言えぬ情感を醸し出していた。分厚い扉を開けると、タバコの煙の向こうに男たちの背中が見える。そしてカウンターの奥では、口数の少ない、厳つい顔のオヤジが客の注文を待っている。やっぱり、そうでなくてはいけない。いつかはこんな街で、夜更けまで飲み歩いてみたい。そう思ってから月日は経ち、今回ようやく願いが叶った。

行った先は、イベリア半島の付け根、ビスケー湾に面したバスク地方である。飛行機で半日を過ごし、長距離列車で6時間、そこから更にバスに揺られる。やっとたどり着いたのは、写真で見たのと同じ雨の街。ただし大西洋の北から吹き付ける風は激しく、雹の混じる雨は冷たく浸みて、容赦なく体温を奪っていく。想像だにしなかった手荒な歓迎だ。お気に入りの店を見つけて、早く酒で体を温めろというお告げだろうか。


呑兵衛は飲むのが仕事。たとえ知らない土地でも、良い居酒屋というのは、それとなく分かる。金持ちの多いのは駄目、若者が多いのも論外。音楽のうるさい店も避けたい。ごく普通の中年オヤジや、年期の入った職人風の客がグラス片手に穏やかに寛ぐ店が良い。そういう店なら、どんな土地でも間違いはない。ましてやここはバスクである。どの店から入ろうかと、迷ってしまうほど良い居酒屋が多かった。


問題は何を注文するかだが、酒はまだいいとしても、料理の名前がさっぱり分からない。言葉そのものが分からないうえ、メニューのない店も珍しくないのでお手上げだ。とりあえず、周りの人に指さして「どうだい?」と尋ね、ぐいっと親指が立てられたなら、すかさず同じものを注文する。経験上、まあ、それで失敗することはない。呑兵衛の好むものに大差はないのだから。写真は、豆とモツの煮込み。居酒屋の基本である。