そのきっかけを作ったのは、中学で夏休みの読書感想文のテーマに会田雄次の「アーロン収容所」を選んだからです。いまでは古典的名著と呼んでいいでしょう。この本を読んで、イギリス人は人種差別をするのではなく、人間と動物を分けるようにして、私たちを区別する人たちなんだと、明確に理解しました。何しろ心の柔らかい年頃ですから、子どもらしいメルヘンチックなイギリス観はたちどころに崩れ去ったものです。
このあたりの実情は、正直なところ、よく分かりません。しかし私たちは、ヨーロッパの支配階級の人々が、たとえ民族が異なろうと簡単に婚姻関係を結ぶ一方で、同じ民族でも被支配階級に対しては残酷なまでの搾取を続けた歴史を知ってます。それ以外にも、たとえば植民地の住人や有色人種に対して、過去にいかなる扱いをしたかも。更に、この区別の感覚を共有する社会が、どれほどの緊張感を孕んでいるかということも想像できます。以前、とある小国の首都に数日間滞在したことがありました。最初のうちは白人ばかりが暮らす豊かな土地だと思ってたのですが、たまたま高級住宅地に近い地下鉄に乗り込んだところ、車内で目に付くのは貧しげな有色人種ばかりで驚愕した経験があります。多民族が共存する社会といいながら、その実態は階級によって使う交通機関さえ異なるという、明らかに区別された社会を実際に目撃してショックを受けたのです。
本書は、細かいことをいえば、ちょっと眉唾な感じのする記述が散見されます。しかし大筋では、欧米的な価値観に微妙な違和感を持つ日本人だからこそ、ストンと腑に落ちる議論が展開されてます。また肉食を維持するため、また小麦からパンを作るため、どのように社会が成立したか、いかなる社会意識が形成されたか、という話は、かなりスリリングです。そうして、欧米社会の成り立ちとの対比で、わが日本社会の特質を考えるに絶好の素材を提供してくれる本だと言えます。
それにしても、母牛のおっぱいを追いかけ回すかわいらしい仔牛さえ、何ら共感することなく、単なる食料としてしか見えないというのは、ちょっと乗り越えられない感覚です。きっと間違っても牛や豚に愛称など付けないんでしょうね。