2013年10月29日火曜日

もうちょっと我慢

興味深い本を読みました。
アメリカの億万長者たちの暮らしぶりについての本ですが、図書館のリサイクルコーナーに並んでいるのを貰ってきました。
そうでもないと手に取る機会のない類の本です。

アメリカのお金持ちというと、豪壮な邸宅に住み毎夜派手なパーティーを催しているという、あの「華麗なるギャツビー」のイメージでしょうか。
私はむしろ、プロテスタンティズムの影響が強く、質実剛健の暮らしぶりの人たちを連想するのですが。
さて実際に億万長者の暮らしぶりを調査するとどうなのかというと・・・。

” お金持ちの特徴を三つの言葉で言い表すと
倹約、倹約、倹約 ”

・・・だそうです。
実に退屈な結果になりましたが、やはりそんな感じですか。

お金持ちといっても、地味な職業に就き、質素な暮らしを心掛けている人たちがほとんど。
逆に多くの人が憧れる職業の人たちは、確かに収入は多いものの、支出も負けず劣らず多いため、結局は自転車操業的な暮らしをしている。
見栄を張らなくてはいけない商売は辛いものです。

「稼ぐに追いつく貧乏なし」といいます。
しっかり稼げば貧乏はしないという意味ですが、そうすれば必ず金持ちになるとまでは言っていない。
お金持ちになるには、倹約を重ね、更に投資等で蓄財に励むことが必須だそうです。
つまり億万長者になるには、かなりハードルが高い(そりゃ当たり前か)。


ちなみに彼らのクルマは、平凡な米国車つまり国産がほとんど。
丈夫で壊れない(下取り価格のいい)日本車も評判がいい。
クルマを購入する際に、敢えて中古車を選ぶ人も少なくないとか。
ステータスとか格とかいう得体の知れない感覚には無縁の、あくまで実質本位の堅実な選択です。

じつはクルマの買替えを真剣に考えていたのですが、もうちょっと我慢しようという気になりました。
なにしろ前世紀から乗っているのだから、あと5、6年の辛抱はどうってことないでしょう(笑。
この本の教訓は、決して背伸びせず分相応に生活しなさいということですからね。

2013年10月26日土曜日

なくなった本屋

ブログを開設した頃、始めて利用したAmazonに感動した文章を掲載しました。
今じゃ当たり前になってしまいましたが、商品を見つけてクリックするだけで決済が終わり、早ければ翌日には届くのですから。
購入履歴を検索すると、ちょうど9年前のことです。
この頃から、街の店舗で買い物をする機会が少なくなりました。

しかし、ずっと気になっていました。
この圧倒的な利便性と引き替えに、いったい何を失うのかと。

昔なじみの商店街を見渡すと、コンビニとドラッグストア、飲食店ばかりになっている。
つまりネットでは扱えないサービスを提供する商売しか生き残っていない。
しかも飲食店などは資本力のあるチェーン店が幅をきかせて、零細な個人商店が減ってしまった。
アクの強い店主がいなくなり、どの店も似たり寄ったりで面白みがなくなった。

上京してはじめて暮らした街の商店街のことを、今でもちゃんと思い出せます。
畳屋に表具店、タバコ屋に豆腐屋、美人ママの喫茶店、乾物屋、婆ちゃんの貸本屋と異様に偏屈な本屋、出戻り娘(噂)のパン屋、買い物をするたびにアメリカ留学をした息子の自慢話を始める金物屋とか。
夜遅い母親に代って、朝早くから店先で掃除をする小学生のいるバー、というのもありましたっけ。
列挙するときりがないけど、短い商店街には個性たっぷりの商店が軒を連ねて並んでた。
どの店でも気軽に世間話をし、徐々に顔見知りが増えてくることで、自分が街の一員になっていくことを実感したものです。

そんなに古い話じゃない。
ほんの少し前のことです。

利便性の追求と引き替えに失ったのは、個性ある商店街とそこで働き住まう人々。
気がつくと商店街の店先で世間話をしなくなっていた。
この街に住む「わたし」自身が個性を失ってしまったようにすら思えるのです。

こういう流れは全国的な傾向らしい。
地方の由緒ある商店街は軒並みゴーストタウン化し、住人たちはクルマで遠くの巨大ショッピングセンターに行くといいます。
そういう話を聞くと、まだ都会のほうが血が通って暮らしやすいと感じる。
商店街は依然と残っているし、消えた商店と入れ代わりに、若い店主のカフェや雑貨店などが誕生している。
新しい商売が続くよう、なんとか応援したいものです。


こんな新聞記事が出てました。
原因の一端は私たちにありますが、それにしても町から個性ある本屋が消えるのは悲しい出来事です。
子供の頃からよく世話になった本屋でした。

2013年10月22日火曜日

増殖するトレイ


これまで2度作った空き箱トレイ、更なるリクエストに応えるべく休日返上で工作に励みました。

材料は前回に利用した空き箱の、使い残した蓋を活用します。
蓋には外枠がついていなかったので、新たに縁を取り付けてトレイらしい形に仕上げました。

素材は桐なので、とても軽く扱いやすい。
そんな素材の性質を反映させて、今回はあえて明るい色を塗ってみました。
丈夫かというとちょっと疑問ですが、トレイとして使い勝手がいいのは確かです。

それから本来ゴミになるはずだったものを、有意義にリサイクルできたという満足感もあります。
貴重な木材資源を、捨てるためだけに消費するというのは納得できないですから。

2013年10月19日土曜日

ハナキン


妻と夜遊びしてきました。
六本木でジャズボーカルのライブがあったのです。
7時からと9時半からの2ステージでしたが、あえて遅い時間を予約しました。
いい年したおとながたまに遊ぶのだから、そりゃ遅い方がいいだろうということで。

食事をし、酒を飲んでほろ酔い加減でライブハウスに行きます。
開演まで1時間前というのに、ロビーは開演待ちの客で既にごった返している。
客層はというと、ちょうど私たちと同年代を中心に、仲のいいご夫婦とみえる人たちが半数程度。
揃って若い頃からのファンなんですね、たぶん。
女性の皆さん方も、ご自身の役割がよく分かってらっしゃる様子で、ライブ会場の夜を華やかに盛り上げてました。

席は、いわゆる砂かぶりで、ずっとステージを見上げる窮屈な格好になりました。
しかし悪くなかった。
PAを通さない、ボーカルの生々しい息づかいや、楽器の音圧が直接に感じられて、いかにもジャズのライブに相応しい体験が出来ました。
この点、だだっ広いライブ会場だと冷静に、あたかも演奏を採点をしながら聞いているような感じになってしまい、どうしても音楽に酔えないんです。

ライブが終わり店を出ると、早くも午前0時が迫っています。
若い頃なら、これからもう1軒遊んで帰ろうというところですが、さすがに無理は出来ません。
それに私は、運転するためノンアルコール飲料ばかり飲んでたので、家に帰って本物の酒を飲みたくなっていました。

駐車場からクルマを出すと、案の定タクシーの渋滞に巻き込まれました。
深夜にもかかわらず、人通りが多く、見たところ景気は悪くないですね。
こんな時間にこういう場所、滅多に通る機会がないので、記念に写真を撮っておきました。

2013年10月13日日曜日

今シーズン最後の収穫


季節の変わり目なので、ベランダで植木鉢の入れ替え作業をしていたら、体中を蚊に刺されてしまった。
昼間なので大丈夫と油断して、ショートパンツとTシャツで作業していたのが拙かったようです。
顔や手足を一度に刺されて、午後の間ずっと不愉快な思いをしました。

暑いので夏の衣類も、まだ半分程度しか整理してません。
そろそろ網戸を洗って仕舞いたいのに、まだそんな状況じゃない。
例年ならとっくに仕舞っている蚊遣りや虫さされの薬も出したままです。

異常気象云々という話もありますが、もはや以前のような気候には戻らないのじゃないでしょうか。
世界的にマラリアの発生が拡大していると聞いてます。
以前ならばワインを作れなかった国でも作れるようになったとか。
確実に世界は暑くなっていってるのでしょうね。

むかしから、家の造りは夏向きにすべきだ、と言われたものですが、昨今の家をみてると風通しが悪く、庇のないものばかりです。
せめて木を植えて木陰を作るという工夫が必要でしょうが、たいていクルマを置くスペースが優先されてます。
その結果、夏は窓を閉め切りエアコン頼み、化石燃料を燃やしてますます熱帯化に拍車をかけるという悪循環に陥っている。
仕方ないと言えばそれまでですが、工夫すべきことはいくらでもあると思うんですよ。

今年最後のゴーヤーを採取しました。
ゴーヤーは、断熱効果はそれほど期待できませんが、日陰を作ってくれるし、窓を開け放しても目隠しになるので非常に役立ちます。
夏を過ごしやすくするのに、最高の植物だと思います。

2013年10月11日金曜日

一期一会か

週に一度は、必ず書店の棚を眺めるようにしています。
今どのような本が店頭に並んでいるか、様子を知っておきたいから。
自分の好みでない本でも手にとって、目次くらいは目を通すようにする。
好みの本ばかり読んでると、確実に取り残されますからね。

近ごろ本を読むスピードが落ちてしまって、一冊をなかなか読み終えることが出来ない。
飛ばし読みすればいいのだが、それは性格的にちょっと無理。
だから新刊書の棚の前で、ただ呆然とするばかりです。
読みたい本ばかりが溜まっていく。夏に買った本ですら、いまだに積ん読状態。
今年も残り4分の1しかないと思うと、強い焦りを感じます。
以前のように、気の向くまま行き当たりばったりの読書が許されない気分です。

図書館の玄関側に除籍図書のラックがあって、ときおり気になった本を貰ってきます。
返却日がない、というのが妙に嬉しい。
先日は須賀敦子のエッセイがでてたので、喜んで頂戴してきました。
目的もなく、思いついた時にぽつりぽつりと読む、という読み方にぴったりです。
つかの間の寄り道読書というわけ。

その中にサン=テグジュペリについて言及があり、気になって書棚の奥から学生時代の文庫を取り出して読み始めてしまった。
変色したページの間に、これを買い求めた時のレシートが挟んだままになっていました。
レシートの日付を眺めていて、よほどのことがない限り読書は一期一会だと実感しました。
時間が有り余っていたあの当時は、そんなこと意識すらしなかったものですが。

2013年10月5日土曜日

最近の買い物から


渋谷のデパートに用事があって行ったのですが、あまりの寂れ具合にびっくり仰天しました。
前回訪れたのは15年ほど前(!)でしたが、その頃はまだ賑わっていた憶えがあります。今回は平日の昼間という事情もあったのでしょうが、どの階にもほとんど客の姿がない。
もちろん駐車場もガラ空きで、当時は外まで列を作って空きを待っていたのが嘘のようです。
内装にお金がかけられないのか、店内はほの暗く、薄汚れた感じがします。
バブルの頃は、このあたりで一番勢いがあったデパートだったのに。

新しく建った駅前のビルに入ると、こちらは若い女性を中心に大変な混雑です。
さっきのデパートから数百メートルしか離れていないのに、この違いはなんなのだろう。
近時デパート業界の売上が大幅に伸びていると聞きますが、とことん業績が落ち込んでいたので、少しでも客足が戻ると派手に数字が回復するのでしょう。
しかしこれからも持続的に業績が回復するとは、私にはとうてい思えません。

あまりないことですが、たまたま目についた植木鉢を衝動買いしてしまいました。
気持ちがちょっと滅入っていたんです。
何でもいいから、少しでも景気が回復すればという気持ちでの買い物でした。
ところが使うあてがないので、今のところテーブルのオブジェになってる。
しかし、たまにはこういう意味のない消費も悪くないと思ってます。

2013年10月1日火曜日

欲望の飽和点

かつて「ほしいものが、ほしいわ。」という、有名なコピーがありました。それは欲望が飽和点に達して、具体的に何が欲しいのか分からなくなった切ない状況を表してます。
わたしたち日本人は、これまでの歴史を振り返ると、あまり欲深い人たちでなかった。
横並びの形の小さい家「買って」、似たり寄ったりのちょっと高価な白いクルマ「買って」、いくつか最新の家電「買って」、服とカバンを一通り揃えたら、もう自分の欲望が飽和点に到達する。
だから「ほしいものが、ほしいわ。」になってしまう。

われわれは、どこまでいってもムラ社会の人です。目立ったり、出すぎたことを嫌い、常に他人の目を意識して暮らします。個人の欲望すら、ムラの枠から飛び出さない。
かつて竹下内閣の頃、村興しと称して全国の市町村に自由に使えるお小遣いとして、1億円を配ったことがありました。しかし、コンサルタントの言いなりに不必要な土木事業をしたり、果ては使い道に困って、貯金したり、金塊を買ったりと、なんともトホホな結果になりました。
1億もあれば、村人全員で腰が抜けるほど遊ぶこともできたのに、ほんとに生真面目で欲の小さな人々です。

ダラダラと果てしなく続くデフレ不況ですが、つまるところ、わたしたちの欲望の飽和点が低すぎることが原因だと感じます。贅沢できるのに贅沢を嫌い、もっと要求していいのに我慢する。
その歪みが経済の停滞を招き、反動としてどうでもいいような貧しい消費を引き起こしているのではないでしょうか。それが巡り巡って、わたしたちの暮らしの質の低下を招いているように思えます。

何かというと安全、安心、安定。そんなものはほんとに聞き飽きた。
わたしは美しくて楽しい街に暮らしたいし、友達が集える格好いい家に住みたい。
駅前の一等地に建つパチンコ屋なんて、どこかの埋め立て地に押し込んで、静かで落ち着きのある商店街を取り戻したいな。
画一的で刹那的な商業施設の代わりに、個性的な商店や、気軽に入れるギャラリーが出来ると楽しいでしょう?
昔みたいに、どんな街にも家から歩いて行けるミニシアターがあると素敵でしょう?
安くて便利なトラム網を張り巡らし、クルマなんか乗らなくたって、切符一枚あればどこまでも遊びに行ける街なんてどうでしょうね。
そして目障りな戸外広告は即刻撤去して欲しい。

言い出せばきりがないけど、そういう願いが実現した街で暮らせるならば、たとえ福祉が不十分でも、ときおり天災がやって来ても、決して政府に文句言いません。
私は、生きているのが楽しいと思える贅沢をしたいからです。
そして誰もが贅沢は素敵だと思える、美しくて楽しい都市を作ることが、結局人々を元気に明るくするのじゃないでしょうか。

それにはまず、欲望の飽和点を思い切って引き上げることが必要だ。

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ずっと以前に作った文章ですが、パソコンの片隅に置き忘れてました。
東京オリンピックの招致が成功したことで思い出し、ブログにアップしました。
オリンピック招致を切っ掛けに、各方面からいろいろなアイデアが出てきてます。
規制緩和してカジノを作ろうというアイデアは素晴らしいじゃありませんか。
その代わりパチンコは廃止(笑。街がすっきりする。
都市交通の終夜営業や都電の復活案も聞こえてきます。
ならばついでに自家用車の都心乗入れ規制もやってほしい。
電柱の地中化を進めるという話も。
ならば自転車の走りやすい環境整備も是非に。

「お・も・て・な・し」って、結局のところ、私たち自身が暮らしてて楽しいと思える街を作ることじゃないでしょうか。
自分たちが楽しく暮らしてなければ、もてなされるほうだって居心地が悪いでしょうからね。